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<「利息」は、ヨーロッパ商人のこじつけ?、昔は「インサイダー取引」やりたい放題の時代?>

こんにちは。

Jikosです。

 

今日は、著作『会計の世界史 イタリア、イギリス、アメリカ —500年の物語』を読んだことについて、まとめます。

 

田中靖浩氏の著作なのですが、なんでこの本を読んだかというと面白そうだったからです!!笑

実際、【会計】というすごいとっつきにくいテーマですが、この本は、会計全般の成立や歴史を物語形式で展開されていくので、とても面白かったです。

主に中世~現代にかけての歴史を背景に、簿記、会計、ファイナンスの仕組みの出現と発展についてまとめられています。

私自身も、会計の知識0で読んだのですが、読みやすかったです。

 

表題についてですが、作中で出てくる実際の歴史上の事実なのですが、個人的に面白いなと思った内容だったので、取り上げました。

ちょっと紹介します。

 

・「利息」は、ヨーロッパ商人のこじつけ?

中世ヨーロッパ、中国・インドから香辛料・ワイン・茶・陶器・織物といった品々がイタリアを通じて、ヨーロッパへ広まっていきます。これが東方貿易ですね。

当時のイタリアの立地が、東方とヨーロッパを結ぶ玄関口として絶好の場所でした。

イタリア発で東方の品々を各ヨーロッパ地方へ商人たちが運ぶのですが、道中の危険は、ついてくるもの。特に、船で運ぶ際、多数の海賊(この頃は、まさに大海賊時代ドンピシャ笑)や悪天候による船の沈没というリスクもはらんでいました。

そんな商人たちを助けるために開発したのが、イタリアのバンコ(Banco=銀行)だったんですね。商人たちは、バンコのおかげで現金(キャッシュ)を持たずに、航海ができるようになりました。キャッシュレスですね。

 

このころのバンコは、主に両替商としての役割が強く、為替手形取引を通じて、その際の手数料で荒稼ぎしていたみたいです。どんどんバンコの勢いが増し、ヨーロッパ中に拡大していきました。

 

ここから、お話が表題について触れるのですが、当時のバンコは、「融資」いついては、及び腰だったそうです。

それは、なぜかというと

・中世では、キリスト教は、商人が「利息」をとることを禁じていたのです。

というもの、キリスト教において、「時間は神のもの」だったからです。

時間は神の所有物だから、そこから生じる「利息」は、神のものだったんですね。

そんなことってある???って感じですね。ただ当時のヨーロッパの人々にとっては、それが常識だったのです。

そのぐらい中世ヨーロッパにおいて宗教という力は絶大だったのですね。。。

しかし、現実問題として商人側としてお金を借りたいというニーズが存在していました。

 

キリスト教の「利息の禁止」は異教徒には適用されないため、ユダヤ教徒は、金貸しをすることができました。というより、金貸しという融資の仕事は卑しい仕事としてユダヤ人に押し付けられていたのです。利息には、「ウズーラ」という名がつけられていました。ユダヤの金貸しも軽蔑の意味を込めてウズーラと呼ばれていたそうです。かわいそうですね。。。

 

借りたい商人と貸したいバンコの前に立ちはだかるこの「ウズーラ」問題を解決したのでが、これら融資にあたって「これは利息」ではないというこじつけだったのです。

融資の見返りに受け取るお金は、「それを他に使えば得られたであろう儲け」の代償だいう言い訳が使われました。

この「失われたチャンスの補償」は、ウズーラと区別して「インテレッセ」と呼ばれました。このインテレッセがinterest(利息)の語源なのです。笑

当時、堂々と利息が取れない時代に、商人たちは、屁理屈やごまかしが横行していたのですね。

 

・昔は「インサイダー取引」やりたい放題の時代?

 

についてですが、長いですね笑。。。

気になる方は、本著を確認してください。また続きを書くかもしれませんが、、、

 

今日は、そんなとこで。

 

会計の世界史 イタリア、イギリス、アメリカ――500年の物語

会計の世界史 イタリア、イギリス、アメリカ――500年の物語